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 パンストの歴史

エルドラド的歴史考証の旅

 

 

 

 
 
 

 

 創世主

 

 I have a run in stockings

 英語でストッキングが伝線するという表現はrun という。

 伝線しない「ノーラン(No Run)」が転じて「ナイロン」の名は授かった。

 

 デュポン社のスタイン副社長は,数千人の聴衆の前で,新製品「ナイロン」を発表した。

 「石炭と水と空気から出来ていて鋼鉄のように強く,クモの糸のように細く,しかもどんな天然繊維よりしなやかで美しい光沢」
 

 ハーバード大学の講師だったウォーレンカロザースは 破格の条件にひかれ創設間もないデュポン社の基礎研究グループのリーダーとしてスカウトされた。

 

 鬱病を患っていた彼は、少なくとも人前で話をせずにすむストレスから逃れられることを喜ばしく思った。純粋な研究を豊潤な研究費で研究することに打ち込める。

 

 コロイド性物質の正体を突き止めるために、彼は純研究に没頭した。

ウォーレンカロザース

 

「コロイド性物質はあまり大きくない分子同士が特別な力で結びついたものである」という常識を覆し、「鎖のように長い一つの分子」であることを発見し人工的にコロイド性物質を作り出すことでそれを証明するためにひたすら大きな分子をつくる。

 

彼はその実験に成功し、「合成ゴム」「合成樹脂」の時代を開いた。

 

 1935年。熱にも薬品にも強く,しなやかな繊維が完成した。それこそデュポン社の秘密兵器ナイロンである。

絹の輸出大国,日本が受けた衝撃は大変なものだったという。

大恐慌のまっただ中。 発明者カロザースの手をはなれ、彼の意に反して実利応用研究の場に変わった。

 

激しいうめき声を聴き、ホテルの支配人がかけつけた。

 レモンのしぼりかす。52ドル。 横たわる死体。遺書はなかった。

 

 当時、鬱病のための薬はなかった。

 数年の間にその病を悪化させた男は、ホテルの一室で青酸カリを飲んだ。


 「合成ゴム発明者,当地で自殺」フィラデルフィアの新聞の見出しはこんな一面で飾られた。

そこにはナイロンという言葉すらなかった。それはそれがナイロンとなづけられ発売され世界の歴史的な商品になる凡そ1年前の出来事であった。

 

 

 アメリカの女性は,ストッキングのことを 俗語的に「ナイロン」と呼ぶ。シャツやワンピースは後発のポリエステルにとってかわられたが,ストッキングは今もナイロンの独壇場だ。

 彼の知りえない形でナイロンは世界中の女性用の脚になくてはならないものとなった。

 

パンストの父

ナイロンの発明者

パンストの父

ウォーレス・カロザース

Wallace Hume Carothers

1896年生誕〜1937年逝去(41歳)。

 



 

ストッキングの歴史

 

 パンティストッキングは和製英語である。英語圏ではこれをパンティホースという。


 ストッキングの起源 は、15世紀ごろヨーロッパの貴族階級の男性たちがはいていた長靴下「ホース」であるのが定説だ。パンティホースの呼び名はここからきているものである。

 

脚パンストフェチ写真パンストのフェチ画ポスター

ストッキングの歴史は長らく男性のファッションとして愛用されてきた。

今日のようにもはや女性を象徴するのファッションとしてなったのは20世紀後半になってからであり

女性のストッキングがが市民権を得るようになったのは19世紀末

足元を見せるスカート丈の短い服が流行してからのことなのである。

1864年 ウィリアム・コトンは、足の型に編み、シームラインで縫製したフルファッション靴下(絹靴下)を発明 。
現在のストッキングの原型であるフルファッションストッキングの誕生となった。

 

 

 その後1952(昭和27)年にナイロンが工業化され、透明感、丈夫さで絹のファッションストッキングにかわりナイロンストッキングが出現する。

 初期のナイロン製ストッキングは、今では信じられない話だが、絹製のものより高価だった。絹より丈夫なのでそれでも売れた。

 当時のストッキングは後側に1本まっすぐに入った縫目(シーム)が一種のシンボルだった。戦時中で物資のない時代、女性の中にはストッキングを履いているように見せるために脚に絵の具でシームも描いたりする人もいた。まっすぐ描くより、少し曲げた方が本物っぽく見えるなどという話もあった。

 

 日本では戦後、アメリカ文化が流入し始めると、モンペをスカートに履き替えた女性が進駐軍経由でナイロン製ストッキングを手に入れ始めた。そして1951(昭和26)年には東洋レーヨン(現 東レ)がナイロンの生産を始め、翌1952(昭和27)年には郡是製糸(現 グンゼ)がナイロン製ストッキングを発売する。

 ナイロン製のストッキングには、縫目(シーム)を入れる必要はない。しかし当時は縫目がないと恥ずかしいという意見が強く、わざわざシームを作っ ていた。その常識に挑戦したのが厚木編織(現 アツギ)である。

 

 1961(昭和36)年、「ねえ君々履いてないのかい?わかってないのね、履いてるのよ」というCMを流して、シームレス・ストッキングのブームを創出した。
流行ってみるとシームレスの方が、シームをまっすぐに履く面倒がなくて楽なので、以後ストッキングは縫目が無いのが当たり前になった。

 

 「パンティストッキング」の登場

 

時代が進み、女性のスカート丈が短くなるにつれ、女性は脚を露出するようになった。寒さを補い、且つ脚を美しく見せるためのストッキングはそこで普及するが

それまでのストッキングはガーターベルトを使って留めるタイプだったため、ずり落ちたり、ミニスカートをはくと腿や下着が見える難があった。それをすることの精神的煩わしさ、機能性の悪さ。

それらの問題を一気に解消するもの、ずれ落ちない、下着が見えない、脚が綺麗に見える。全てを補うもの。

それがパンティーストッキングだった。

 

シームレスパンティーストッキング

 

1963年米国でパンティーストッキングが開発され発売され、爆発的に世界中に普及するまで時間はかからなかった。

 

1967年「ミニの女王」イギリスのツイッギーが来日を果たしミニスカートブームが訪れると

1968年 厚木ナイロン工業が最初のパンティストッキングを発売。


「パンティストッキング」は瞬く間に一大ブームとなり、日本女性の間に定着していく。

 

 

 

 

ミニスカートはミニと呼ばれ、パンティーストッキングはパンストと呼ばれるようになった。

ミニとパンストは女性の間だけでなく、男たちの視線を魅了した。

 

パンスト時代の幕開け、いやパンストフェチ時代の幕開けはこうしてはじまった。

美脚解禁・・・

その幕開けとなった1967年〜68年

時代の流行語は皮肉にも

ハレンチ・アングラ・サイケデリック・ノンポリ。ゲバルト・OHモーレツであった。

まさに時代は炸裂していた。

 

発明者ウォーレス・カロザースの分子構造論とは別の次元で

全く意図しないところで、研究の対象ではないところで

コロイド性物質は人間の男性の脳の中でもう一つの化学反応を起こしていた。

新たな、そして巨大なフェチズムという精神の複合体(コンプレックス)の合成。

 

 「石炭と水と空気から出来ていて鋼鉄のように強く,クモの糸のように細く,しかもどんな天然繊維よりしなやかで美しい光沢」 それは女性の美しい脚に男性を魅了する魔法そのものとなった。

 

 

 白鳥の湖のバレリーナ

 新体操の選手

 エアロビインストラクターのレオタード

 高嶺の花のスチュワーデス

 憧れの女教師

 通学する冬の女学生

 笑顔の可愛いOL

 白衣のナース

 喪服の人妻

 深夜の女子アナウンサー

 

 もしパンストがなかったら、それほど彼女達は魅力的にみえたであろうか。

もしパンストがなかったら、彼女はそこに存在足りえる今ほどの価値があっただろうか。

その競技はそのスポーツはその職業は憧れの存在であっただろうか。

 

そのパンストがなかったらそこに存在しえなかった子供は一体どれほどいるのだろうか。

そのナイロンの魔物に魅了され、幻惑され、一体何人もの男達は、自分の運命を変えてしまったのだろうか。

 

 あまりにも馬鹿馬鹿しくあまりにも真面目な問答。

 

ウォーレス・カロザース

あなたの作った置き土産はあまりにも偉大で罪深い。

 

 

 

 PANTYHOSE

 

 

美脚フェチコンフィデンシャル

 


 

 

 

 

 

 

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